旧事本紀研究会
旧事本紀研究会
旧事本紀研究会
旧事本紀研究会
旧事本紀研究会
旧事本紀研究会
旧事本紀研究会
今日のふるごと -16-

推古九年(太子30歳、601年)春二月 太子 詔命に依って斑鳩に宮を造りたまい、しかも民を使役せず又、領(えだち)を用いず、直ちに各に給い、一の宮を時に立って畿内皆く潤ふ。
 此の月 太子 奏して曰く。高麗及び百済をして急(すみやか)に任那を救わしめむ、と。
 天皇 然りとし即ぐ勅し、大伴咋を高麗に坂本糠手を百済國に遣はし、急かに任那を救うべし、と。高麗 百済 速やかに任那を救に仍りて新羅を退けり。
 秋九月 新羅の間諜 加摩多 対馬に到れり。即ぐ捕えて之を進(たてまつ)り、天皇 勅に命せて酷法を加えむとするに太子 之に奏して上野に流す。
 冬十一月 新羅を攻むることを議るも太子聞きたまわず。
 この年、洲々に命せ、肇めて六齋の市を立つるに三輪自り始め、已にして市なりて売買自由なり。万民大いに悦び国家の富を成す。

「聖皇本紀」より

 この年は斑鳩宮を建てられた記念すべき年。斑鳩宮は法隆寺の東院に宮跡が夢殿として伝わっている。(いかるがとは豆廻し、数珠かけと別称され籠で飼育する雀科の鳥をいう)宮の造営にあたり、領民に苦役や財産を供出させず工事には代価と報酬を払って行ったため周辺はみな経済的に潤うこととなった。また前年からの新羅の任那侵攻では、高麗、百済に対してともに任那を救うべく速やかに出兵するよう促し、大伴咋らを派遣し新羅を退けることができた。
 秋九月に対馬へ上陸し捕らえられた新羅の間者(スパイ)加摩多を極刑にせよという天皇の命に対し、太子は上野への流刑に止めた。また新羅へ出兵し再び攻めるべきとの朝議では、太子は出兵を反対し国内治世の自省を促した。そして、人々の信仰厚く参詣者も多い三輪大社を始めとして各地で六斎の市を開き、人々が自由に売買できるようにした。市中に活気をもたらし民は潤い、結果として貢も増え國は豊になった。

お知らせ

会員ページ

旧事本紀研究会の会報バックナンバーを会員限定で公開しております。

会員ページへアクセス