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今日のふるごと -11-

推古二年二月三日(寺の興り)
是より先、太子及び蘇我大臣に詔し、三宝を興立せしめたまふ。時に太子、奏して曰く。
「像を造り堂を立ての功は福田の第一なり。福田の第一なり。然り是の如しといえども自ら財宝を惜しんで国の財を懸け、州縣の蓄えを費やし、その役を民にかけ、庶民の憂いを発す。諸斯は福に非ず。即ち是れ罪なり。仏は之を受けたまわらむ。天は還って之を悪(にく)む。
或いは領者を益せむと欲し、偏に任為して貨を棄てるはこれ仏の為に非ず。又、庶の為に非ず。これ領と為すと為さば天は福を奪って禍を与ふ。神は利を変えて禍を與え罰を成さむ。若し造立を能く欲せんとするものには一束の役に五束を与え、百束には五百を棄て成せ。一像成って一縣潤い、一堂成って一国富むは是れ大悲の仏心に應(かなわ)む。即ち、至仁天意に應む。之に依て理に合い災いを滅し、福を生じ願いを成(とげ)て祚を護りまさむ、と。
 天皇 之を聞こしめし、群卿之を聴くや皆大いに歓喜せり。是時、諸臣 連等も各々の思いなりとし、仏殿を造り、即ち焉を寺と謂ふ。


「聖皇本紀」より

推古二年(西暦594年)
三宝、ここでは仏・法・僧の三つをいう。仏教を興すためには寺が必要で、寺を造営するにあたっていかにあるべきかを太子が天皇に奏上された。
仏の像すなわちみすがたを造り、それを安置しまつる家すなわち寺を造営するということは福徳を生ずる田畠の役を果たすが如く、寺こそがこの世の福田というものです。しかしながらもし私財を出し惜しみし、国や県の公費を使い、民にただ働きをさせるというやり方では功徳とはいえません。仏は喜んで受けられないし、神は利を禍に変え罰を与えるでしょう。ご利益信仰で仏に捧げ物をすれば過分のお授けがあるというような考えならば仏と利害、欲得ずくとなり罰されこそすれ、福を与えられることにはなりません。仏は慈悲を以て本体とし一切の執着、貪欲を放棄してこそまみえることができます。仏心にそってこそ仏は喜ばれます。ゆえに一束必要ならば五束を出し、百必要なら五百を出し、惜しむことなく奉仕することです。そうやって像を造り、堂を建てることができたならば、それで仏の教え人々に行き渡り国が富むならば、仏の大悲というものです。それはまた天の心にかなうということで天の理にかない、災いを滅して福となし、願い事が成り、朝廷のまつりごとを護っていけるでしょう、と。
 天皇、群卿ともにこれに大いに歓喜した。大臣、大連、各官の長たちも皆よく理解し、これより仏殿を造ることとなった。これを寺という。

束は稲10束のこと。古代の単位。
註:推古二年(594)は上宮皇子(聖徳太子)が天皇の儲君(もうけのきみ)つまり皇太子となった年の翌年にあたり御歳23歳。同年春に、神教経と宗徳経を著している。これによって神道、儒教、仏教を審らかにして、全国に遣いを出して行き渡らせた。

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