旧事本紀研究会
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今日のふるごと -50-

 国を治める慮(はかり)の是非は必ず学問に在り。学問の美(よし)と忌(あしき)のことは、必ず圓(まるみ)と闕(かけること)に在り。その圓とは三法の相い具(ともなう)の是なり。その闕とは三を一とか二と為すの是なり。その学には偏り無するなり。偏りを無するときはまた、学ぶ心にして敵を無す。敵を無するはまた、心を修めるなり。和を公にし、公に和して百官は官を官とせむ。これ政は正(かたよらず)、直(すなお)なり。是の如くして民は理(おさま)り国も治(しずまら)む。庶幾(こいねがわく)ば、天皇 三法の学を立てたまえ。

「聖皇本紀」より

崇峻天皇二年(西暦589)、太子は十八歳の年である。歴代天皇のうち短命かつ悪しき天皇であった崇峻天皇に、国政を治めるためには偏りなき学問が必須であることを奏上された項。
偏り無くとは三法、神儒仏を指す。先々代の敏達、先代の用明天皇が苦慮された吾が国古来の神道、そして外来の儒教と新興の仏法とをめぐる政争を踏まえ、新天皇に三法を立てる前提となる学びの心得として「和」を説き、政の要となると奏した。
学問は主に法(宗の教え)を指す。天文・地理・歴道・太占・軍旅もまたこの中に付随し含まれている。

この文は、記紀は当然として、他本である旧事本紀白河本にも記述がなく先代旧事本紀大成経72巻本のみとなっている。
太子の教学の哲理を理解し、また日本の思想文化の啓蒙する上でも重要な手がかりとなるものである。

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