旧事本紀研究会
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今日のふるごと -45-

二十年、春正月十五日、天皇 詔て維摩経の疏を製らんことを請う。
 太子 慮て之を肯(がえ)んじ始めて維摩経の疏を製り玉う。
 夏五月、百済の來人 白癩病を煩い、その躰は醜くも能く山嶽の形を構(こしら)え又巧みに長い橋を懸ける能(わざ)あるも、群臣之を悪い将に棄てんとせり。
 太子 哀れみて留めて仕えしめたまう。能く橋を懸ける能あるを以て乃(ここ)に奏して東國に遣わし、深谷、廣河に肇めて長橋を懸け國、縣を通い安くし、旅客の悩みを体(なくせ)り。兆庶(もろびと)大いに悦び其の恵みに感じしのみ。
 時の諺に曰く。
 悪病の者は人の目を煩わし、善き能(わざ)の者は衆情を慶(よろこば)せるなり。利哉(よきことかな).大智の君は纔に一者(ひとり)の目を棄て、多の兆者(おびただしきひとびと)の心を取れり。

「聖皇本紀」より

推古二十年(西暦六一二年、太子四一歳)、天皇は太子に勝鬘経に続き維摩経の解説書を作るように請われた。太子はこれを承りて維摩経を解いた書を著された。
 五月に百済からの来朝者があり、その中に白癩病に冒されている者がいた。見た目の醜さに役人たちは触れることを嫌い入れることを拒んだ。しかし太子はそれを哀れに思われた。その者は山岳の工事に通じ、橋を架ける才能があった。太子は天皇にこのことをお伝えし、用いられることになった。この百済人は通行の難しい東国に派遣され、難所に橋を架け道を開くことをし、深い谷、広い河に隔てられた土地を通いやすくすることができた。人々は大いに喜んだ。
 

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