旧事本紀研究会
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今日のふるごと -17-

 天地の間において若干生まれ出る荒神、逆神、地増人、祇死、吟鬼等の皆くは天魔雄命(あめのざこおのみこと)に属(つく)なり。君として事え、諸の弱神を駆りたてて心腑(こころ)に託り、意を変え、敏き者をして之を高ぶらし、愚者をして之を迷わしめ、災い及び悩みごとを起し、或いは荒ませ、或いは厭わしめ、在るいは逆らわしめ、或いは愁えしめ、己の好みに差うものは皇天と雖も愚かびとと為し、己の好みに合えば醜鬼と雖も聖と為し、党を傲って誇を好み、此如意(かかる)を成して我の徒に諸て増やすことを嫉み、我が方に諸て異なるを憎み、咎無きに咎を作し、咎を求め似るを得て之を枉げて咎と為す。衆を進めて徒に入れ、入らざるを以て之をあなどり之をそしり、神師(ひじり)を譏り、仙客を譏り、悉く己の皇天の性を失い、我と我が皇天の徳をして之を卑しめ之を野(つたなく)し公を失わしむ。
 是 邪に学ぶ者は自他無きにて自他を発し自らを是(よし)とし他を非(わろし)とし道を求め還って道を失う事の元なり。

「神祇本紀」より

 この章は天照太神が天物梁命(あめのこやねのみこと)に詔され火焼祭りをしようとした際に、にわかに祭場に天逆毎姫神(あめのざこひめのかみ)が現れ、火焼きを非難したことの意味を説いたものである。もっともらしい理屈を述べたてて「皇天の誤れるところなり」と事を妨げようとする。しかし、天照大神の詔、つまり天の理と天逆毎姫神の理屈はでどころちがうのである。始めに「天地の間において」とあるように、九天でなく六地でなく、その狭間に堕ちた理であり、公にかなう理ではなく私事が混じり諍う世界の事にすぎない。その善悪の観念では、公つまり皇天の善をはかることはできないし神の理に叶ってはいないことを教えている。ではなぜそのような理屈を滔々と述べ立てるのか? 「邪に学ぶ者は自他無きにて自他を発し」とは無心でいることができず他者に対し僻みや嫉みや疑心を抱くことを指す。理由などなく、ただ己が枉がっているからである。周囲を歪んだ目で見、自分の方法を疑わず、格すことを怠り我を通そうとする者は邪に堕ちているのだから、自ら気づくことなく次々に間違った手段をこうじていくことになる。言葉巧みに行い周囲を欺き、仲間を増やし、徒党を組む。世間でよくみかける行為でもある。冷静にそれを邪と判断できる者は「皇天の性」が失われていない。しかしそのような私心の無い者に対して、「入らざるを以て之をあなどり之をそしり神師(ひじり)を譏(そし)り仙客を譏り」と攻撃の対象とみなす。そして天魔雄命は一人ではなく徒党を組み数の勢いを借るのが常套手段である。
 虚しい政争に明け暮れ公のための政治が行われない。人の世の常、下界だから当たり前、その認識は果たして当然で済まされるだろうか。人は性(うまれでどころ)を神に学ぶことによって知り、あるいは思い出すことができるはずだ。旧き尊い伝えが遺され、それを引き継いでいく意味もまたそこにあるのではないだろうか。
*この章は旧事本紀他本(十巻本、三十巻本には欠文している)

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