先代旧事本紀大成経とは、飛鳥時代に推古天皇の勅命によって聖徳太子が編纂された全72巻の聖典です。西暦622年の完成後に推古天皇の序文が添えられ、崇敬を込めた神代皇代大成経という別称があります。
それまでの時代、日本(倭国)の根幹は神の道にありました。このことを政治に関わる人のみならず人々に広く、子々孫々まで伝え遺していくことを目的に口承や各家に伝わった神代文字の紀(ふみ)を集め、新たに文字を興し、一つにまとめた書物として制作されました。その経緯は秦河勝が記した序伝に詳しく述べられています。
現代では古道という表現に集約される古代のやりかた、暮らしの中心には神の道がありました。これを今のわたしたちの身近にある神社では、残念なことに知ることができませんが、先代旧事本紀大成経をひもとくことによって、神道という漢音で表現される以前に、わが国の国家理念として今の神社神道とは異なる「神の道」があったことがわかります。
神道によって国家国民を支配するという戦前の忌まわしい歴史を思うと、神の道が国家の理念であるというのは受け入れがたいことかもしれません。しかし為政者が作った国家神道ではない古代の「神の道」は、人が豊かに生きられる治世をするには、天皇及び官がいかにあるべきかを教え、戒め、またそれは一個人の生き方にももちろんつながるものでした。その理念によって国造りをしてきたのが日本でした。そこにある神は、偉大な権威ではなく、太仁、太徳によって表されるものでした。
まず始めに天祖から始まる神代そして先天、さらに七代七世の神々(陰陽と黄泉、地神と神祇)という神々の系譜が説かれ、その中で神とは「五鎮三才」であることが記されています。神話は記紀と重なる部分がありますが、従来の神話の解釈に納まらない、天地のあらゆる生命の生成の原理と法則を表すために物語られていることが読み取れます。そしてその後半は天孫から人皇 神武天皇から推古天皇までの天皇紀に、神の道の真髄である五鎮三才をいかに天皇が体現して治世を行なったか、あるいはまた外れたのかが正確に記述されています。(聖徳太子が不都合な事実も含めて正確に記せと命じたと序文に記されています)。ここまでを正編とし、次の9巻以降に、聖徳太子の著述である経教本紀があります。この中には神道の真髄が詳細に記された神教経、宗徳経が含まれており、この二経を踏まえて神代の巻が理解できるといえます。
古代の言葉の意味は、古代に立ち返ることでしか理解することはできないという本居宣長や小林秀雄の言葉を念頭に、西欧の哲学思想の影響からいったん離れ、やまとことばを感じとることで難解さの向こうへ辿りつくことができるかと思います。