学びかた

三法と三才を学ぶ

三法と三才を学ぶ

三法とは神・儒・仏の三つをさします。聖徳太子は仏教の庇護者のように伝わっていますが、聖徳五憲法(十七条憲法の原典、第70巻憲法本紀)にあるように600年代前半は、神の道以外に新しい道として仏教と儒学がありました。そしてその役割が明文化されています。どれか一つの法に重きを置いたわけではなく、それぞれ鼎の足のように支え合うことで一つの道として成ること、三法の必要性を聖徳太子は説いています。また憲法本紀にある三法に従事する者、神官、僧侶、学者への戒めも厳しく書かれています。現代に至るまでの間にそれらすべてが破られ、三法すべてが異質なものに変容していることも注目すべき点です。
そしてこの喪った原点に立ち返って三法を知ることは五鎮の理解を深めるために必要です。

五鎮はモノ以前、世の中が出現する以前に在る要素「神・心・理・気・境」の五つが鎮まっている状態をさします。五つはそれぞれに関係し連携しまたそれぞれに他を内包してはたらきます。そのはたらきは宗源、斎元、霊宗と三つに分類することができます。神の道とは何かといったときに「五鎮三才」ということができるのですが、この言葉を覚えてもその内容を修めていかなければ、意味不明の四文字に過ぎなくなります。

三才の中で最も重要でかつ難しいのは霊宗です。江戸時代の国学者、本居宣長は著書「古事記伝」のなかで神しきと書いてあやしきとかなを振っています。神しきは霊しきでもあり、言葉にすることができない状態、モノ、コトを言いました。怪奇のアヤシキではありません。崇高な聖なるモノ、現象を神しきといい、霊しきと表し、その元となるところの心を覚ることで会得することができます。

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